ベストな人事制度はあり得ない

企業にとって、「人」は不可欠なリソースです。言い換えれば、「人」がいなければ組織は成り立ちません。しかし、この不可欠なリソース、安定的に生産性を維持し、最大のアウトプットを出し続けるためのマネジメントについては、他のリソースに比して、もっとも難しいものだという認識がなかなか表面的にクローズアップされていないのが現状のように思います。

アメリカのHRM(人材マネジメント)を考える際に、【Paradox パラドックス】という側面から見る機会がありました。

【Paradox パラドックス】とは、和英辞書で調べると、「逆説、逆理」。抽象的な言葉になりますが、強引さを承知で、簡単に説明をしてしまうと、『良かれと思って行ったことが、裏目にでてしまうこと』『理想であるが現実は異なる』

例えば、こんな事例でしょうか。

- We have bigger house but smaller families. 
 大きな家を持ったが、妻と自分しかいない。

- We have a greater variety of food but less nutrition. 
 たくさんの食べ物に囲まれているが、その多くが健康的でない。

- We encourage teamwork but reward individual performance.
 チームワークを推奨したものの、個人の成果を評価する制度が存在する。

HRM(人材マネジメント)には、この【Paradox パラドックス】が存在し、いかに、これを認識した上で、「人」のリソースをマネジメントしていくかが、ポイントになるというアプローチです。

キーになるのが、以下の2つ。

【Paradox of democracy 民主主義のパラドックス】

市民には基本的な権利(ex. 言論の自由)がある一方で、組織に入ると、その権利の履行が抑制されてしまう(ex. 部下は上司を選べない)

【Paradox of needs ニーズのパラドックス】

人と組織は互いを必要とする。しかし、人間の幸福と組織の合理性(ex.効率性/生産性の追求)は必ずしも一致しない。組織が効率性を求めるためにトップダウンの指揮命令機能を強めるほど、人間は自由裁量権を制限される。もっと具体的な例を挙げると、「従業員がワークライフバランスある職場環境を求めるが、果たして、それが真に組織の生産性につながるか組織は依然と懐疑的」といったニーズの対立を指しています。


人事業務の具体例に落とし込んでみると、

  • 求職者に対する公正を維持し、数段階の試験、面接を行い、採用プロセスを厳密にすることで、人選にかかる時間が長くなり、結果として、優秀な候補者は最終結果を待ちきれず、他からのオファーに流れてしまうケース

  • 評価制度の改善を図り、細かい評価ガイドラインとスケールと作成したものの、実際にスタッフを評価するマネジャー各人の認識が統一されず、評価方法の理解不足によって、ますます評価を混乱させ、スタッフのやる気を低下させてしまうケース

そもそも、採用にしても評価にしても、それは「人間」のやること。そこには、4つの防ぎがたいエラーが起きやすいのです。 

1. Cognitive limitation  (認知的限界) 
2. Intentional manipulaton (意図的操作) 
3. Organizational influences (組織的介入) 
4. Human nature (人間性) 

「人間」のやることに正解はなく、受け止め方も人それぞれ異なります。

つまり、人事業務の持つ上記のパラドックスをベースにした特性、難しさについて、人事担当者のみならず、組織のスタッフから管理者、経営層まで、全員が認識した上で、皆で智恵を出し、人と組織の共存の妥協点を探す絶え間ない努力が必要となってくるのではないでしょうか。

「民主主義」「ニーズ」の先進国であるアメリカでさえ、そのパラドックスに頭を悩ませているのだとしたら、もっと、「理想と現実の致し方ないギャップ」を素直に認め、認めた上で、考察する姿勢が大切になってくるのだと思います。

米国「安定性」が最優先

人材コンサルティング会社Towers Watsonの行った調査「2010 Global Workforce Study」によると、この経済低迷の状態によって、アメリカ人従業員の「仕事の安定性」に対する意識が高まり、回答者の40%が「人生を通じて、2社あるいは3社での経験が、キャリアモデルとしては理想的」と回答しています。また、回答者の39%は「できれば、ひとつの会社で終身働ければ望ましい」とも回答しています。

日本人から見たアメリカ人のステレオタイプとして、「より良い条件を求めて転職を繰り返す」「アグレッシブに自らの理想とするキャリアを追い求める」という姿を思い浮かべるかもしれません。

90年代以降、日本企業は「年功序列・終身雇用」という日本型雇用システム(組織指向)からアメリカ型の成果主義(マーケット指向)に方向転換してきました。しかし、ここ数年の経済低迷・不況という外部環境が、アメリカ人の自らのキャリア開発(例:より良い条件への転職)に対する意欲を減退させ、終身雇用を理想と考えるようになった意識の変化に注目する必要があります。

社外への転職を望まない傾向になるということは、社内において、従業員のやる気・モチベーションを高める工夫を積極的に行い、常に従業員の「Self-reliance(自立の精神)」をかき立てる施策が上司・人事担当者には求められます。

職場に不満がある従業員が「外に出たいが今はここで波風立てずに留まっておこう」と考えることで、職場の雰囲気は停滞し、結果として全職場の生産性にも影響します。企業もコスト削減で、フレッシュな風を起こす社員の採用・新ポストの創設が難しい今、どうやって社内の中から風を吹かせるかが鍵になるのだと思います。

ここで申し上げたいことは、従業員の意欲につながる要素は日本も米国もそれほど差はないということ。社内でのキャリアの機会、優れたリーダーの存在、そして能力発揮の場が提供される権限委譲。

日本では「グローバル人材育成」という言葉が声高く叫ばれていますが、厳しい外部環境にかかわらず、従業員のエンゲージメントを高める社内での議論が、国籍に係らず優秀な人材を育成するチャンスとも捉えることができると思います。